ウラシネマイクスピアリブログ

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『アフター・ヤン』

 “A24”はアメリカのインデペンデント系映画配給・製作会社。ジャンルに囚われず良質で野心的な映画を供給し新しい発見を観客に与えてくれる、そんな“A24”印の作品は多くの映画ファンの心をくすぐっています。今回はそのA24が製作した10/21(金)公開『アフター・ヤン』をご紹介いたします。

 舞台は“テクノ”と呼ばれる人型AIロボットが家庭に普及している近未来。ジェイク(コリン・ファレル)と妻カイラ(ジョディ・ターナー=スミス)、中国系の養女ミカ(マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ)の一家もヤン(ジャスティン・H・ミン)と名付けたAIロボットと生活している。が、ある日突然ヤンは故障して動かなくなってしまう。ふさぎ込むミカのためにジェイクは修理を試みるが彼の体内には特殊な装置が組み込まれていたことがわかる・・・・

 これまでAIが人間と共存する未来を描く場合、『2001年宇宙の旅』みたくAIが暴走し、人間の脅威の存在となる展開がほとんどでしたが本作で描かれるのはAIのヤンが人間の生活に溶け込み、そればかりか家族の一員としてなくてはならい存在であったこと、ヤンがいなくなった後に彼に関わっていた人たちが大きな喪失感を抱くようになる姿を描いていきます。

 この映画で描かれる世界は静寂に包まれています。ミカはヤンのことをグァグァと親しみをこめてお兄さんと呼び、ヤンはミカのことをメイメイと妹のように呼ぶ、その光景、二人のやり取り1つとってもとにかく美しいので、胸がいっぱいになるほど優しい気持ちになります。ミカにとってヤンがAIかどうかは取るに足らないことだし、本当の兄妹のような信頼関係が生まれているのが見て取れるその様子に、ヤンが動かなくなったことで悲嘆にくれるミカの気持ちが痛いほど伝わってきます。

そんなミカを見てられないジェイクは修理が出来る手立てを方々探るのですが、正規のルートでなく中古で買ったヤンは元に戻らないことがわかります。でもその過程でヤンの中に毎日数秒間の動画を撮影できる機能があったこともわかります。それはヤンが存在した証、言うなればヤンの記憶のようなものでした。

そしてこのヤンの記憶の断片が描かれるシーンも言葉には言い表せませないほどの美しさなんです。草木のざわめき、木漏れ日の柔らかさ、ミカとの対話、どれをとっても日常の一コマでしかないなのにどれも眩い光景。ジェイクはそれを見たことでヤンの目を通して見える日常の素晴らしさに感動し、彼と一緒にいた自分たちの日常もどれだけ尊いものであったか気付かされ、涙するのです。

 ジェイクはそれまではもしかしたらヤンをただのAIロボットとしか思っていなかったかもしれません。隣人の子供がクローンであることに少なからず拒否反応も持っているし、「ヤンは人間になりたかったのか?」と聞くぐらいに無意識に傲慢であったとは思います。でもこの映画はAIでもクローンでもその出自に関わらず、互いが互いを必要とすることを肯定し、それは見かけや国籍など自分と違うものを排除したがる今の社会への問いかけのようにも思えるし、韓国系アメリカ人であるコゴナダ監督のパーソナルな思いも感じとれます。

 未来の世界を描きながらその表現がとてもシンプルで、ジェイクたちの住む家そのものや空間の切り取り方に至るまで魅力的で小津安二郎フォロワーと公言する監督らしいさりげない美意識にも心奪われます。そしてそれらをさらに引き立てる坂本龍一の手掛けるテーマ曲や『リリイ・シュシュのすべて』で使われた「グライド」の使われ方も心地よい余韻を残してくれます。

 抒情的な静けさが感じられるこの映画はその良さを言葉で伝えるのがとても難しいのですが、ミカにとってヤンがそうだったように、観た人の心にそっと留まるような作品になるといいな、と思います。気に入っていただけたらコゴナダ監督の前作『コロンバス』も是非。

By.M