ウラシネマイクスピアリブログ

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『ハナレイ・ベイ』

 これから秋が深まってきますが、秋と言えば読書の秋。そんな時期に素敵な原作小説を映画化した作品が公開されます。今回は10/19公開『ハナレイ・ベイ』をご紹介いたします。

 主人公のサチ(吉田羊)はハワイのハナレイ・ベイで一人息子タカシ(佐野玲於)をサーフィン中の事故で亡くします。以来、命日の時期にはこの地を訪れ、浜辺で一人過ごすようになり10年。ある日、サチは2人の若い日本人サーファー(村上虹郎、佐藤魁)と出会います。

 「ハナレイ・ベイ」は2005年に発表された村上春樹さんのベストセラー短編小説「東京奇譚集」の一篇で、私も何度となく読み返している大好きな物語です。村上作品の中で<生と死>、<喪失感>といったテーマは象徴的で、そこに魅力を感じている方も多いんじゃないでしょうか。

 夫も亡くしシングルマザーとしてタカシを育て、他人にも自分にも厳しく生きてきたサチ。息子を愛しながらも、自由気ままに生きる彼が理解出来ず、どこか距離をおいて暮らしていた2人。それでもいつも一緒だと思っていた人、しかも息子の突然の不在にサチは当然のように戸惑います。そして命日に毎年ハナレイ・ベイに行き、次第と町の人とも交流を持つようになった彼女ですが砂浜で目の前に広がる光景を横目にただ本を読んで過ごす、そんな時間が毎年、毎年積み重なっていくだけです。

人は生きていると何度となく永遠のお別れを経験します。多くは突然の出来事で、その人がいない日常を想像だにしていないためその不在を、事実を受け止めることすら容易ではありません。<喪失感>に慣れることがあってもそれ自体は決して無くなることはありません。その人がいた日常とそうでない日常としてただ受け入れるしかありません。が、何度も言うようにそれは簡単なことではありません。

そしてサチは行き場をなくした気持ちと向き合えないままイタズラに時だけを重ねて過ごしていましたが、ふとしたことでサーフィンを愛し、日常を謳歌している二人の日本人青年に出会います。彼らの中にいなくなったタカシを重ねて見つめるサチ。時に赤の他人が最も近しい存在になりうることがあり、彼らとの出会いは彼女の中の何かを変えていく出会いでもありました。劇中、息子の事故以降、決して彼を思い出すようなものには近付かなかったサチが二人に誘われて・・・・、というシーンがあるのですが、まさに彼女が変化の兆しを見せる場面。人は日常のどんなささやか出来事であっても、それを機に変わることが出来る、という仄かな光を描いた本当にマジカルで素敵なシーンでもうこれが観られただけでも私は胸がいっぱいでした。

 でもそんな矢先、二人から「サーフボードを持った片足の日本人サーファーを何度も見る」と聞かされます。タカシはサメに襲われ片足を失くしているのです・・・。ここからサチは真正面からタカシの不在と対峙していきます。なかったことに出来ない<喪失感>と向き合い、それを受け止めるために・・・。

 本作で抱えきれない悲しい出来事に直面しながらも、前に進もうとするサチを演じた吉田羊さんの横顔、その佇まいはとても印象的です。雄大なハナレイ・ベイの自然の中で負けないくらい力強く、覚悟ある人は美しくもあるのでした。(撮影は『万引き家族』で是枝作品に新しい命を吹き込んだ近藤龍人さん。彼が切り取る画がまた魅力的!)

 世界中に熱狂的ファンを持つ村上春樹作品の映像化は監督の松永大司さんを始めスタッフの皆さんのプレッシャーもかなりのものだったと思いますが私はこの映画を観終わって、きっと村上さんもこの映画を気に入っているんじゃないかな、と思った次第です。原作に引っ張られ過ぎず、それでいてあの一篇に流れていた空気感も感じられる、作り手の確かな想いが伝わる作品なので是非ハルキストの方にも観て頂きたい1本です。

By.M