ウラシネマイクスピアリブログ

映画を愛するシネマイクスピアリの宣伝担当者が
今後の上映作品を
ウラからナナメから眺めてそっと語るオフィシャルブログ

『アマンダと僕』

 前回に引き続き、小規模公開ながらもオススメしたい1本を今週もご紹介いたします。昨年の東京国際映画祭で審査員満場一致でグランプリと最優秀脚本賞のW受賞にも輝いた6/22(土)公開『アマンダと僕』です。

 生きていく上で経験する喜びや悲しみを過剰な演技や演出で見せるのではなく、ナチュラルに瑞々しく描く、個人的にも上半期ベスト級な1本。なのであらすじやこれ以降のコメントなど読まずに是非映画館へGO!して頂きたい。それぐらい心からオススメなのがこの映画です。

 主人公はタイトルの通り、アマンダ(イゾール・ミュルトリエ)と僕(ヴァンサン・ラコスト)ことダヴィッド。ダヴィッドはフリーターのような生活を送っている24歳。姉サンドリーヌ(オフェリア・コルブ)とは仲良しで、シングルマザーの彼女を助け、7歳の姪アマンダの面倒をみたりしています。最近出会った女性レナ(ステイシー・マーティン)ともいい感じで穏やかに日々を暮らしていたある日、悲劇が彼とアマンダを襲います。

 それは公園で起きた無差別テロ。事件に巻き込まれたレナは怪我をし、サンドリーヌは帰らぬ人となるのです。突然身寄りがなくなったアマンダの親代わりになったダヴィッド。悲しみがいえぬまま二人は共に生活を始めます。

 この映画でとても丁寧に描かれるのは彼らの日常です。前半は三人が睦まじく生活する風景がとても優しく映し出されます。そんな日常に突如影を落とす姉の死。でも生活が一変する要因となった公園でのテロシーンは淡々と描かれます。だからこそ、それまでの何てことない日々がどれだけ幸福に満ち溢れていたかをより際立たせることにはなるのですが・・・

 大切な人の永遠の不在を知ることになる二人はその事実をすんなり受け止めることが出来ないけれど、新しい一日を日々迎えなければなりません。アマンダは子供なので抱えきれない悲しみをダイレクトに表現することもあれば、時にダヴィッドに気遣いの表情をみせたり気丈に振る舞ったりと、とにかく健気で心打たれます。一方ダヴィッドもアマンダの手前、自分を保とうと努めるのですが、友人の前や一人になった時に不安から人目をはばからず泣いてしまうこともあります。深い悲しみを経験した時、その悲しみは日常のなんてことない瞬間に思い知らされることがあります。そんな喪失感を抱えてしまった彼の脆さを描くあるシーンも何気ないけれどもとてもリアルで胸に迫ります。

それでもダヴィッドはアマンダを通して人の弱さ以上に逞しさを知ることで前へ進むことを選ぶのです。この映画の原題は「Amanda(アマンダ)」ですが、自分は一人ではない、二人たからこそ乗り越えられる、そんな場面に溢れていてそう意味で邦題の『アマンダと僕』はとてもこの映画を表しています。

 また劇中、たくさんの印象的なシーンが描かれますが特に映画の冒頭とラストで登場する“エルヴィスは建物を出た(Elvis has left the building)”のセリフは忘れられません。冒頭ではお母さんにその意味を教えてもらったアマンダは二人で楽しそうにエルヴィスの曲で踊ります。それが多幸感に満ちているだけに二人に起きる出来事がより暗い影を落とすのですが、あの場面があったからこそ映画のラストシーンがより感動的なものにもなります。

そして終盤で再び登場する“エルヴィスは建物を出た”のセリフを合図にアマンダの感情がグっと変化していきます。「諦めたら終わり、諦めた時に全てが終わる。まだ終わっちゃいないんだ」とどこからともなくそんな励ましが聞えて来るようなそのエンディングにアマンダとダヴィッドと一緒に私も拍手を送りたくなりました。

 誰もが経験しうる悲しみを優しく包み込むようなこの映画。こういう映画に出会えるから映画を観るのを止められないし、映画を観終わってふと「アマンダやダヴィッドは今どうしてるかな?」と思いを馳せてしまう、そんな風に思わせてくれる映画は良い映画!と言うのが私のセオリーです。

By.M