ウラシネマイクスピアリブログ

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『ファーザー』

 今年のアカデミー賞、番狂わせと言われたのが主演男優賞の結果でした。大方の予想ではチャドウィック・ボーズマンが最有力だったから。でもこの映画のアンソニー・ホプキンスの演技を観れば、誰しも納得するんじゃないか、と思います。今回ご紹介する作品は5/14(金)公開『ファーザー』です。

 ロンドンのアパート(フラット)に暮らす81歳のアンソニー(アンソニー・ホプキンス)。認知症が進み始めていて、記憶が混乱するアンソニーを娘のアン(オリヴィア・コールマン)は心配し、介護人を手配するが彼はそれを拒否していた。そんな時、アンが新しい恋人とパリに引っ越す予定があることを告げる。困惑するアンソニーの前に、アンと10年以上連れ添っていると言う男(マーク・ゲイティス)が現れ、アンソニーはますます混乱していく・・・。

 本作は日本を含め世界30カ国以上で上演された舞台が元となっていて、そのオリジナル戯曲を担当したフロリアン・ゼレールが監督と脚本を手掛けています。映画化にあたり彼はアンソニー・ホプキンスを宛て書きし、舞台をロンドンに移し、主人公の名前、誕生日、年齢をホプキンスと同じ設定に変更したそうです。ということもあり、この映画はとてもリアリティがあり、かつ空間の使い方や時間の切り取り方がとても演劇的で独特。ホプキンスの巧みな演技が相乗効果となり目の前に広がる世界にどんどん引き込まれていきます。

 何となく「老いや介護をテーマにした映画なんだろうな」という第一印象もあって却ってこの映画を敬遠する方もいらっしゃるかもしれません。でもそう思ってこの映画を“観ないBOX”に入れてしまうのはとても惜しいことです。

ホプキンスの演技が言葉に尽くしがたいほど素晴らしいから・・いえ、それだけの理由ではありません。この映画は観終わった時にはきっと「こういう映画だとは思わなかった。」と思うハズだから。この映画は観る者を混乱させ戸惑わせるミステリアスな面を持っているんです。まさかこんなアプローチでくるなんて・・・

なのでもうこれ以上、事前情報は一切入れずに映画を観てほしい!「とにかく観て~!」とだけ伝えて終わりにしたい、それぐらいお勧め出来る1本です。

 でもこの先を敢えて伝えるとするならば、この映画はアンソニーが感じたことを次第と観客も体感させられる、ということ。「まだまだ大丈夫だぞ」という自負があるアンソニーはこういった老人、特有の気性の波があります。ご機嫌だったり、おどけたり、と思えば急に怒ったり、悲しんで子供みたいになったり。そして急に目の前で起こっていること、目の前にいる人が一体何なのか、誰なのかわからなくなっていき自分がみるみる行き場を失っていくような状態にも・・・。

でもそれが劇中の演出も合い間って、観客の方も「誰?何?」と同じように戸惑いを感じ、アンソニーが抱える不安は観客にとっての不安にもなっていく。巧妙な仕掛けを用いて観客の目の前に広がる光景はアンソニーを客観的に観ていた視点から彼の主観へと誘われるのです。それはまるで私たちもアンソニーの記憶の迷宮に迷い込んでしまうかのように・・・。

 またこの映画では様々な喪失も描かれていきます。それは否応なく人を孤独にするものです。それでもそんな世界に生きる我々は老いていようがいまいと記憶のカケラに寄り添い、時にすがって、ただやり過ごすしかないのかもしれません。それをとても慈愛に満ちた目線で描いていくのがこの映画のまた一つの側面でもある気がしています。

By.M